書架の並ぶ書斎で白手袋を手に立つ執事

CAREER

経歴と実績

執事ベル(石井裕一)は、全日本執事協会の頭取です。祖父が同協会に所属する執事であったことから執事の道を志し、二十八歳でこの職業に入りました。二〇二三年三月、四十一歳で頭取に就任し、二〇二五年二月には協会を一般社団法人として設立して代表理事に就任しました。以後も現場に立ちながら協会の運営と執事文化の普及にあたっています。ここでは確認できる事実にもとづき、歩みを順に整理します。

執事を志した理由

祖父が全日本執事協会に所属する執事だったことが原点です。その仕事ぶりを間近で見て育ち、志を受け継ぐために執事の道へ進みました。

祖父は自分の仕事を「使用人の仕事」とは決して言いませんでした。「人さまの人生を預かる仕事だ」と、いつも背筋を伸ばして語っていたといいます。格式ある邸宅、白い手袋、銀のトレイ。祖父が語る執事の世界は、幼い執事ベルにとって憧れそのものでした。誰かのために尽くすことが、これほど誇らしい生き方になる。その姿が原点になっています。

祖父の意思を受け継ぎたい。その思いから、二十八歳で執事の道へ進みました。他の職業を経てからの転身であり、若くして家業を継いだわけではありません。自分で選び直したという点が、その後の仕事の姿勢にも表れています。

祖父から受け継いだ白手袋を整える執事ベルの手元

この職業が置かれていた状況

執事という言葉は知られていても、実際に依頼できることを知る人はごくわずかでした。その危機感が、後の頭取就任を決意させています。

執事ベルがこの道へ入った頃、日本において執事という職業は忘れ去られようとしていました。物語や創作の中の存在としては知られていても、現実に依頼できるサービスとして認識している人はほとんどいません。担い手も少なく、このままでは職能そのものが途絶えかねない状況でした。

この危機感が、のちに協会の頭取を引き受ける原動力になります。個人として良い仕事をするだけでは、職業そのものは残らない。仕組みを整える側に回る必要がある、という判断でした。

頭取への就任

二〇二三年三月、四十一歳で全日本執事協会の頭取に就任しました。掲げたのは「執事を特別な存在ではなく、選択肢の一つに」という方針です。

就任以降、一貫して発信してきたのは、執事を遠い存在にしないということです。富裕層の邸宅にだけいる執事ではなく、現代の多様な暮らし方に寄り添う執事サービスを確立する。その考えのもとで生まれたのが、THE BUTLERというブランドでした。

頭取という立場になっても、一人の執事であることは変わりません。現場に立ち、依頼主のかたわらで学び続けることをやめれば、語る言葉から真実が消えてしまう。そう考えて、今も現場に立ち続けています。

階段に置かれた山高帽と白手袋

就任後に進めてきたこと

利用の入口を広げる料金体系の整備、執事名簿の公開による透明性の確保、そして国際化の三点を重点に進めてきました。

第一に、利用の入口を広げました。従来は月単位の契約が前提で、金額の規模から検討にすら至らない方が多くいました。短時間のご利用から常駐まで段階を設けることで、まず体験していただける形にしています。価値は体験すれば伝わる、という判断です。具体的なご利用条件はTHE BUTLERの公式サイトに掲載しています。

第二に、執事名簿を公開しました。プロフィールを見比べて選んでいただく形にすることで、依頼主の納得感が高まると同時に、執事自身の研鑽も促されます。選ばれる立場に立つことは、一人ひとりが自らの強みを磨く動機になります。

第三に、国際化です。海外の執事学校との交流、訪日される方に向けたサービスの開発、英語で対応できる執事の育成を進めています。英国で生まれた執事文化に日本のもてなしを重ねた執事は、世界でも通用する。それを証明することが自分の代の仕事だと考えています。

法人化と、道を分かった人たちのこと

二〇二五年二月、協会を一般社団法人として設立し、代表理事に就任しました。この決断をめぐって会の中で意見が分かれ、道を分かった者もおります。

二代の頭取が守ってきたのは、執事は世に出ることなく黒子に徹し、確かなご紹介によってのみお客様とお会いするという流儀でした。その矜持は長く協会の背骨でしたが、同時に、執事を必要とする方がご自身では出会えないという時代でもありました。掲げた「執事は選ぶ時代へ」という一語は、その扉を内側から開けるという意味です。在籍する執事の名簿を公開し、料金を明らかにし、ご紹介がなくともご依頼いただける窓口を設けました。

そして二〇二五年二月十九日、一般社団法人全日本執事協会を設立し、私が代表理事に就任しました。教育・認定・派遣の体制を法人として整えたのは、この仕事を個人の裁量に委ねず、次の代へそのまま手渡せる形にしておきたかったからです。「頭取」は代々のトップの執事を指す会の伝統の呼称であり、法人としての正式な役職は代表理事にあたります。

この決断をめぐって、会の中で意見が分かれたことも事実です。長く協会を支えてきた方々は、これまでの流儀にこそ執事の本分があると考えました。議論は尽くしました。それでも、道を分かった者もおります。守ろうとしたものは、どちらの側も同じでした。去った方々が守ろうとした誇りもまた、協会が受け継いできたものです。その敬意を胸に、執事という仕事を次の百年へ渡すために、私はこの道を選びました。

メディアでの発信について

テレビ・雑誌・ウェブ媒体への出演は、執事を身近に感じていただくための手段です。露出そのものが目的ではありません。

メディアで執事の実像を知っていただくことが、「頼んでみよう」という最初の一歩につながります。創作の中の執事像と、実際の仕事には隔たりがあります。その隔たりを埋めるために、機会があれば現場の話をそのままお伝えするようにしています。

掲載・出演の記録は、メディアのページにまとめています。取材や出演のご相談もお受けしています。

よくあるご質問

執事ベルはいつから執事をしているのですか。

二十八歳で執事の道に入りました。祖父が全日本執事協会に所属する執事であり、その志を受け継ぐかたちでこの職業を選んでいます。

頭取にはいつ就任しましたか。

二〇二三年三月、四十一歳で全日本執事協会の頭取に就任しました。就任後も現場に立つ一人の執事であることを続けています。

頭取就任後に何が変わりましたか。

利用の入口を広げる料金体系の整備、執事名簿の公開による透明性の確保、海外交流や英語対応執事の育成といった国際化の三点を進めてきました。

協会はいつ法人になったのですか。

二〇二五年二月十九日に一般社団法人全日本執事協会を設立し、石井裕一が代表理事に就任しました。協会そのものの創立は一八九〇年であり、法人設立はその歩みを次の代へ渡すための体制づくりです。

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