執事ベル(石井裕一)は、全日本執事協会の三代目会長です。祖父が同協会に所属する執事であったことから執事の道を志し、二十八歳でこの職業に入りました。二〇二三年三月、四十一歳で三代目会長に就任し、以後は現場に立ちながら協会の運営と執事文化の普及にあたっています。ここでは確認できる事実にもとづき、歩みを順に整理します。
執事を志した理由
祖父は自分の仕事を「使用人の仕事」とは決して言いませんでした。「人さまの人生を預かる仕事だ」と、いつも背筋を伸ばして語っていたといいます。格式ある邸宅、白い手袋、銀のトレイ。祖父が語る執事の世界は、幼い執事ベルにとって憧れそのものでした。誰かのために尽くすことが、これほど誇らしい生き方になる。その姿が原点になっています。
祖父の意思を受け継ぎたい。その思いから、二十八歳で執事の道へ進みました。他の職業を経てからの転身であり、若くして家業を継いだわけではありません。自分で選び直したという点が、その後の仕事の姿勢にも表れています。

この職業が置かれていた状況
執事ベルがこの道へ入った頃、日本において執事という職業は忘れ去られようとしていました。物語や創作の中の存在としては知られていても、現実に依頼できるサービスとして認識している人はほとんどいません。担い手も少なく、このままでは職能そのものが途絶えかねない状況でした。
この危機感が、のちに協会の三代目会長を引き受ける原動力になります。個人として良い仕事をするだけでは、職業そのものは残らない。仕組みを整える側に回る必要がある、という判断でした。
三代目会長への就任
就任以降、一貫して発信してきたのは、執事を遠い存在にしないということです。富裕層の邸宅にだけいる執事ではなく、現代の多様な暮らし方に寄り添う執事サービスを確立する。その考えのもとで生まれたのが、THE BUTLERというブランドでした。
会長という立場になっても、一人の執事であることは変わりません。現場に立ち、依頼主のかたわらで学び続けることをやめれば、語る言葉から真実が消えてしまう。そう考えて、今も現場に立ち続けています。

就任後に進めてきたこと
第一に、利用の入口を広げました。従来は月単位の契約が前提で、金額の規模から検討にすら至らない方が多くいました。短時間のご利用から常駐まで段階を設けることで、まず体験していただける形にしています。価値は体験すれば伝わる、という判断です。具体的なご利用条件はTHE BUTLERの公式サイトに掲載しています。
第二に、執事名簿を公開しました。プロフィールを見比べて選んでいただく形にすることで、依頼主の納得感が高まると同時に、執事自身の研鑽も促されます。選ばれる立場に立つことは、一人ひとりが自らの強みを磨く動機になります。
第三に、国際化です。海外の執事学校との交流、訪日される方に向けたサービスの開発、英語で対応できる執事の育成を進めています。英国で生まれた執事文化に日本のもてなしを重ねた執事は、世界でも通用する。それを証明することが自分の代の仕事だと考えています。
メディアでの発信について
メディアで執事の実像を知っていただくことが、「頼んでみよう」という最初の一歩につながります。創作の中の執事像と、実際の仕事には隔たりがあります。その隔たりを埋めるために、機会があれば現場の話をそのままお伝えするようにしています。
掲載・出演の記録は、メディアのページにまとめています。取材や出演のご相談もお受けしています。
よくあるご質問
執事ベルはいつから執事をしているのですか。
二十八歳で執事の道に入りました。祖父が全日本執事協会に所属する執事であり、その志を受け継ぐかたちでこの職業を選んでいます。
会長にはいつ就任しましたか。
二〇二三年三月、四十一歳で全日本執事協会の三代目会長に就任しました。就任後も現場に立つ一人の執事であることを続けています。
会長就任後に何が変わりましたか。
利用の入口を広げる料金体系の整備、執事名簿の公開による透明性の確保、海外交流や英語対応執事の育成といった国際化の三点を進めてきました。
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