一般社団法人全日本執事協会とは、日本において執事の育成と認定を担う組織です。一八九〇年の創立から百三十年にわたり、執事という職能の型と基準を受け継ぎ、二〇二五年二月には一般社団法人として体制を整えました。ここでは、協会がどのように生まれ、何を守りながら現頭取へ受け継がれてきたのかを、現頭取である執事ベルの視点でご紹介します。
協会はいつ生まれたのか
一八九〇年の創設です。以来百三十年にわたり、執事の技能と作法を受け継ぎ、育成と認定を担ってきました。
執事は個人の才覚だけで成り立つ職業ではありません。誰が担っても一定以上であるという状態をつくるには、型を残し、教える仕組みと、認める仕組みが要ります。協会が生まれたのは、そのためです。
百三十年は長さではない
百三十年という時間は、単に古いということではありません。時代ごとに求められるものが変わるなかで、何を変え、何を変えないかを判断し続けてきた時間だと考えています。
創立と法人設立は別
創立と法人設立は別のものです。会としての創立は一八九〇年、一般社団法人全日本執事協会としての設立は二〇二五年二月十九日にあたります。百三十年の歩みを次の代へ確かに渡すために、法人としての体制を整えました。

何を受け継いできたのか
受け継いできたのは所作の型と、仕える姿勢です。道具や服装は時代とともに変わりますが、相手の一歩先を読むという原則は変わっていません。
受け継ぐ対象は二つあります。一つは具体的な型で、席次、給仕の順序、道具の扱いといった手順です。もう一つは姿勢で、守秘を守る、目立たない、相手を立てるといった判断の基準です。前者は書き残せますが、後者は人から人へしか伝わりません。
姿勢は人からしか渡らない
だからこそ協会は、教材だけでなく実技を重んじます。現場を知る執事が直接教える形を保っているのは、姿勢が言葉だけでは渡らないからです。

現頭取への継承で何が変わったか
二〇二三年三月に頭取が就任し、執事を特別な存在から選択肢の一つへと位置づけ直す方針が明確になりました。
長いあいだ執事は、ごく一部の家のためのものだと受け取られてきました。現頭取の代では、暮らし方に合わせて関わり方を選べる形を整え、利用の入口を広げています。同時に執事名簿を公開し、選んでいただける状態にしました。
選ばれる側に立つと変わる
透明性は依頼する側のためだけではありません。選ばれる立場に立つことで、執事一人ひとりが自らの強みを磨くようになります。継承にあたって最も意識したのは、この循環をつくることでした。

新章 — 執事は選ぶ時代へ
現頭取が掲げたのは「執事は選ぶ時代へ」という一語です。名簿の公開、料金の明示、窓口の開放を進め、二〇二五年二月に一般社団法人として体制を整えました。
現頭取の就任は、協会にとって静かな転換点となりました。二代の頭取が守ってきたのは、執事は世に出ることなく黒子に徹し、確かなご紹介によってのみお客様とお会いするという流儀です。その矜持は長く協会の背骨でしたが、同時に、執事を必要とする方がご自身では出会えないという時代でもありました。
扉を内側から開ける
在籍する執事の名簿を公開し、料金を明らかにし、ご紹介がなくともご依頼いただける窓口を設ける。長く閉じられていた扉を、内側から開ける決断でした。二〇二三年に執事名簿を公開し、二〇二四年に料金体系と窓口を明らかにし、そして二〇二五年二月十九日、一般社団法人全日本執事協会を設立して、教育と認定、そして執事をお届けする体制を、法人として整えました。
会の中で割れた
この決断をめぐって、会の中で意見が分かれたことも事実です。長く協会を支えてきた者たちは、これまでの流儀にこそ執事の本分があると考え、時代の変化を読む者たちは現頭取の方針に賛同しました。議論は尽くされ、道を分かった者もおります。それでも現頭取は、執事という仕事を次の百年へ渡すために、この道を選びました。
去った者への敬意
守ろうとしたものは、どちらの側も同じでした。去った者たちが守ろうとした誇りもまた、協会が受け継いできたものです。その敬意を胸に、私たちは新しい執事協会の第一歩を踏み出しています。

協会が果たしている役割
育てること、基準で認めること、必要とされる場へ届けること。この三つを一続きの流れとして担っています。
教育だけでは質は保証できず、認定だけでは担い手が増えません。届ける仕組みがなければ、育てても働く場がない。三つが揃ってはじめて職能として継続します。協会が複数の事業を持っているのは、この流れを切らさないためです。
それぞれの事業の関係については、頭取としての役割のページで整理しています。
育てる
認める
送り出す

これから残していくもの
残すべきは組織ではなく職能です。次の世代が学べる場と、質を測る基準を渡すことを目的にしています。
日本において執事は、一度忘れ去られかけた職業です。担い手が減れば技術は伝わらず、基準がなければ質は保てません。組織を大きくすることが目的ではなく、職能が次の世代へ渡ることが目的です。
海外との行き来
そのために国際化も進めています。海外の執事学校との交流や、英語で対応できる執事の育成は、日本の執事が世界でも通用することを示すための取り組みです。

分かれていた四十五年をどう扱うか
隠しません。一九五五年から二〇〇〇年まで協会は二つに分かれており、その間に作法の解釈も二通りになりました。
協会の歩みを語るとき、一八九〇年から今日まで一本の線が続いていたかのように書くことはできます。実際にはそうではありません。戦後の一九五五年に会は二つに分かれ、給仕の型と作法の読み方をめぐって別々の道を歩みました。二〇〇〇年の再統合まで、四十五年の隔たりがあります。
どちらも正としなかった
再統合のとき、どちらの流儀を正とするかは決めませんでした。両方を残し、場面に応じて使い分ける形へ編み直したのです。勝ち負けをつけなかったのは、去る者を出さないためであり、また、どちらの型にも守るべき理由があったからです。
歴史を都合よく整えない
組織の歴史を都合よく整えないことは、基準を持つ者の誠実さだと考えています。分かれていた事実を書き残しておかなければ、いま両方の型が残っている理由も説明できません。

百三十年を数えることに意味はあるのか
年数そのものに意味はありません。意味があるのは、引き継ぐたびに基準を書き換えなかったという事実のほうです。
古い組織であることを誇るつもりはありません。長く続いた団体でも、代替わりのたびに基準が入れ替わっていれば、積み上がるものは何もないからです。協会が残せたのは、頭取が替わるときの作法を決めていたからだと考えています。引き継ぐ者は、まず前任の条文をそのまま運用する。手を入れるのは、現場で必要が生じたときだけ。
理由が層になって残る
この順序があるので、条文には改めた理由が層になって残っています。いま協会が持っている価値は、条文そのものよりも、その横に積み上がった理由の分量のほうにあります。
渡すのは物差しと記録
次の代へ渡すのも、建物でも会員名簿でもありません。物差しと、その物差しがなぜその目盛りになったのかという記録です。
よくあるご質問
全日本執事協会はいつからありますか。
一八九〇年の創設で、百三十年にわたり執事の育成と認定を担ってきました。現在は頭取のもとで運営されています。
協会は何をしている団体ですか。
教えること、物差しを当てて認めること、そして働く先へ送り出すことの三つを一続きの流れとして担っています。
協会はいつ法人になったのですか。
二〇二五年二月十九日に一般社団法人全日本執事協会を設立しました。会としての創立は一八九〇年であり、創立年と法人設立年は別のものです。
現在の頭取は誰ですか。
執事ベル(石井裕一)が二〇二三年三月に頭取へ就任し、二〇二五年二月の法人設立にあたって代表理事となりました。現在も現場に立ちながら協会を運営しています。
協会が二つに分かれていた時期があるのは本当ですか。
本当です。一九五五年から二〇〇〇年まで会は二つに分かれ、作法の読み方も二通りになりました。再統合の際はどちらかを正とせず、両方を残して編み直しています。
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